FC2ブログ

父のこと

Posted by 彩子 on 16.2011 日々色々 4 comments 0 trackback
都内に住む私の父が誕生日を迎えた日。


おめでとメールの返信に

《 いよいよ【傘寿】を迎えました 》とある。

80歳をそう呼ぶことさえ、
無知な私は知らなかった。


母と別れ、その後見合いで再婚した奥さんと暮らしている父は、
とにかく元気である。
ラッシュと逆方向の通勤とはいえ、
今でもフルタイムで月から金まで仕事をしている。
おまけに
こちらも70は過ぎてる奥さんの、仕事の日には
夕食を作り、後片付けまでしているらしい。



父の口癖は、『 未だ現役で~ 』 


まさかあっちの方も、未だゲンエキでも無かろうが、
耳が遠くなって補聴器を片方しているとは聞いているが、
健康を過信せんといてよ~
大概にしといてよ~と
遠くから娘の私は父を諌めている。


今年はひい爺ちゃんになりますよ、とメールの末尾にしたためておいても、
其れに関しては全くのスルーである。


元来、子供に興味が無かった部類の父親である。
子供の私や兄貴の事よりも、
自分の都合を優先していた記憶さえある。


だから、
子供のころ、夏休みに何処かに連れてってくれるとしても
車は汚すな、で、いつも靴を脱いで乗せられていた。

今思えば、
新しい車の匂いが苦手で、
すぐに車に酔ってしまう私に、
『 気分が悪くなったら、早く言いなさい 』 とは、
車を汚されるのがきっと厭でそう言っていたのだろう。


そんな父だったから、
私が結婚して、年子の様に息子二人が出来たって、
離れていたとは言え、さほど興味を示さなかった。

そのくせ父は、
昨年の夏の長男の結婚式には呼んで貰えると思いこんでたらしい。

父の話をすると未だに震えにでも襲われる母の事など、
当然思いやる事もない。
母と顔を合わせる事になる長男の結婚式に、である。



私が高校を卒業した頃、
オイルショックを長びかせ結果、事業に失敗して単身上京した父。
大学も東京だったし、そちらに親戚も多い父に比べ、
地元から出た事もなかった母は、
未だ医学部生の兄と短大に入ったばかりの私を置いて
父に付いて行くことはなかった。
家は差し押さえられ、競売にかけられた。
持ち出せる荷物は少しずつ夜中に運び出し、
最後の夜は、トラックの前座席に並んで座った。
本当に夜逃げだった。

仕送りも望めなかったらしく
何より実家を頼った母だった。
すれ違い始めていた父と母。
兄貴は察していたと言うが、私は気付かなかった。

おまけに仕事がらみの女性関係を
下請けの奥さん方から入れ知恵され、
誰誰さんが社長の後を追って東京へ行ったらしい、と
母は面と向かって言われたらしい。

別居したことから、お金の切れ目は縁の切れ目を地で行く。
実家から受け継いだ財産を父に駄目にされたと思った母は
父を恨み、離婚を申し出て、父と母は離婚した。


私は大好きだった父に会いに
独り暮らしの団地に行った。
娘の目には、可哀想なお父さんに映った。
再婚してと言ったのは私だった。


本当に見合いをして再婚した父と
家族の都合で行き遅れていた初婚の奥さんの結婚式に
兄と二人、東京へ行かせてくれた母の気もちは
その頃の私はきっと理解していなかった。


数年後、
私と夫の間にセックスが無い事を父に話したからか、
兄と私以外の望まぬ妊娠に、
未だ若かった頃、パイプカットを申し出たのは母からだったと
父に打ち明けられた。
親の避妊のいきさつを聞かされる娘の気もちも解って欲しかったが。




父達の間に子供はいないからか、
私達夫婦が転勤で東京に住んだ頃、
幼かった息子を父の処に連れて行っても
実際可愛がってくれたのは、
再婚した奥さんの方だった。



この夏の、長男の結婚の時。

ご祝儀袋の入った現金書留の中に、
あの小さかったボクがもうお嫁さん貰うの?と
手紙を入れておくってくれたのも父の奥さんの方だった。

お礼の電話をかけた時、
自分が結婚式に呼ばれなかった事が不満気だった父。

お父さん子だった私も、
母が離婚した歳になった頃から、
母の気持ちに心が添う様になっていった。



長男の結婚式に出席しなかった父に
私はメールをした。
正確には、遠慮してもらった、のだが。


几帳面な筈の父から返信が無かった。


催促するつもりでもなかったが、
お嫁さんから集合写真、届いてる?と電話をかけた。


父はメールを送ってくれてたらしいが、
私の携帯には届いていなかった。
父は、メールの送受信記録からではなく、
日々付けている日記から
長男の結婚に関わるメールや電話のやり取りの日時を
逐一私に話した。


その後、
せっかくだから届かなかったメール、今からでも送ってよと父に頼んでみた。



・・・



東京は今日は朝から強い雨風で、寒い1日でした

真夜中のメール、先程拝見
家に居る時は殆どに電源はオフにしているので

日頃からお父さんは“余程の事が無い限り”発信も着信も終了後は「消去」して
しまうのが習慣で(妙なところまで几帳面?)BOX内は常に空っぽ状態で申し訳ない

メールの内容は「素敵な披露宴で良かったねぇ」というのが main でした。悪しからず

お嫁さんからは何れ報告があると思うけど…
お姑修行の第一歩と考えて、そっとしておいた方が良いでしょう

それでは取り敢えずありがとう



・・



父からのメールである。


何かの不具合で送信されてなかったのだろう。
それはそれでもういいのだけれど、
私がふっと思ったのは、
すべてのボックスを空っぽにする父の行動である。

家に居る時も電源を切っているらしい。

まさかあの歳で、
父は嫁に隠すようなやりとりをするご婦人でもいるのだろうかと
私が一瞬でも妄想したことに
私は自分で苦笑いである。



父から来るメールは絵文字だらけで
娘の私でも苦笑ものである。
そもそも、
父がメールを始めたのは、
社内のお姉さんに教わったらしい。

アドレス帳の設定時、
名前とアドレスが正しく設定されておらず、
私へ打ったつもりのメールがよそ様へ送信されていた事があって、
やれやれ、年寄りのすることはやっぱり・・
な~んて思ったことがあったのだが。




数日前、
都心でも雪が積もったらしいが、
お洒落だった父は、間違っても長靴なんて履かないで
出勤したのだろう。


孫が生まれたら、
都心に住む長男夫婦の処に
初孫の顔を見に行くついでに
父の顔も拝みに行こうか、と思っている。


乳癌で逝ってしまった従姉妹、
父からすれば姪の、葬儀で顔を合わせた以来になる。



やっぱり親子だものね・。




○ Comment

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011.02.18 12:48 | | # [edit]
とてもいい記事でした。
お父さん大事にしてあげてください。

何事にも正直でいいですね。
2011.02.19 00:23 | URL | ken #aGwqLFVc [edit]
上手くコメント書けない、と思わせてしまってた事に申し訳ないです。
それでも足跡残して下さってありがとうございます。
ふうさん所で拝見していますよ。

確かに《長い長いお話》になってしまってすみません。

実はこの記事、下書きに保存したままになっていたのです。
結局、読み返しては書き足して、の繰り返しでこんなになってしまいました。

彼は一言、『 長い【乳記事】やったな~! 』ですと^^;
こんなんでも茶化されてます!

それでも懲りずに、一部書き足してもいますが(笑)
こちらこそ、ありがとうございました。
2011.02.19 00:51 | URL | 彩子 #- [edit]
ありがとうございます。

正直というか、包み隠せない性格も考えもんですけど^^;
2011.02.19 00:52 | URL | 彩子 #- [edit]

○ Post comment


  • 管理者にだけ表示を許可する

○ Trackback

trackbackURL:http://adeirotenfu.blog68.fc2.com/tb.php/196-b4eb387d